復活するか
数ヶ月前、勢いでブログを作って記事を9個書いたはいいが、色んな懸念があって中断することになった。客観的に見れば「所詮ヒキニートは何も続けられねーのなw」といったところだろう。確かに、結局のところそんなんは、俺が弱かったからに他ならない。
この度、俺は「自分はこのままではいけない」と強く確信する出来事があった。それを一言で言えば「社会人と関わる機会があったが、全然上手く対応できず(うわぁ…)と思われるような動きをしちまったことで、社会との距離を実感した」といったところだ。その距離を真摯に受け止めて、縮めていこうとしなければ、俺は一生クソのままだとも思った。
一応言っておくと俺は、社会・世間・他人に依存して、見世物としてアヘ顔ダブルピースしながら乞食して生きることを望むようなみっともない虫ケラのカスを志向したいわけではないし(昨今ではそういう生き方もできるが)、他者からの視点や感情といったバフなんか得ずとも全ては俺一人でどうにかなると思っており、加えて俺には社会的な力は何もない反面、世界が無視した、金では買えない極上の才能があると信じている。
だからといって弱い自分とそれに伴う傷を恐れて自分を隠蔽して救いようのないプライドの高さを保護し続けるのでは、たとえ社会的な力を手に入れようが精神面では腐ったままだし、自分が弱いからといって社会を完全無視して生きるのは、社会からの逃げと同義だとも言える。いや実際、逃げている部分もあったのは認める。
今までの俺からしたら、一度放置したブログを再び記述するような真似は決して行わなかった。単純に再開するほどのやる気がないだけでなく、放置したあとに再開するのはなんかダサいし、もう存在ごと忘れてほしかったからだ。そうして数十の活動・ブログ・HPを抹消してきた過去がある。
さて、今の俺と、過去と、現在俺を取り巻く状況について、いくつか話をする。前にも書いた内容があろうが、気持ちを一新するためにも、再び書く。
俺は、自分に正直に生きる。誰も読まなくたっていい。俺のプライドの高さなど、社会や「年収ナシ」という “現実” の前では、何にもならんのだから。
社会で台頭して気持ちよくなることを志す人のことを自分の承認の道具としか思っていないようなクズ野郎ほどめっちゃ勤勉
俺は、外部からの印象と、実際の行動ほど、その一致に信頼が置けないものもないと思っている。結局、各々の内部・内情を直には見ていないからだ。
ガワだけ見て、適当に全てを決め付けて満足したがる奴というのは、現代には多いが、では、その確定と固定によって何をどう得て満足して、そこから何が興っているというのか。また、それを具体的に言語化できるのか。仮に何も興っていない気がするんなら、何のためにそうするのか。それは、誤った思考回路の構築からの、エネルギーの空費に繋がるのではないのか。
何故か、だが。社会というものは、各々に『専売特許』を与える。勝ち組には勝ち組の、負け組には負け組の専売特許がある。
すなわち、互いに何らかの誇り、もしくはそれとは似ても似つかない言い訳を有していて、「自分で自分を邪魔すること」を望み続ける。
ただ、愚者共が、如何なる思考により、何を吐き捨てようとも、俺は、結局は、どうあっても、勤勉で、誠実で、情熱があって、努力を振り撒いてくれる人間こそが好かれる、ということを知っている。
だから、タイトルにあるような「台頭欲」がある奴というのも、人間としてはクズかもしれんし、時には、けつあなやツルツルが確定したりもするが、他者を掌握するために実直に動いている点では間違いないので、この世界でも(本性さえ露わにならなければ)愛される。一見不真面目そうでも、そういう奴ほど、自律の仕方を分かっている。
ただ「何が正しいか」というのは必ずしも、単なる社会的な価値では測れない。社会は、個人を無視した一律だからだ。
要するに、誰しもくだらない理由で他人や世間を消費し、消費されるよりもまず、己としてやることが、まだまだあるのではないかと思う。俺は、言われるまでもなくそうしている。
Youtubeだか、Twitterだか、5chだか、まとブロだか、そんなのに貴重な時間を捧げてやっている輩が何を言っていようとも、ハートに響かんぜ。匿名なら尚更。
俺からすればそれは、ウンコをしたくなったらトイレに入ってすぐ出ているんじゃなくて、トイレにこもってウンコが出るのを待つために他のすべきことを犠牲にしているかのようだ。前者の嗜み方ならまだ、健全な遊びの範疇であると言えようが、後者のような「行動と目的の反転」は、絶対に自分にとっていいことにはならない。
俺は、誰かが負け組や底辺を嘲笑したり、他の頑張る人間を冷笑したりすることで、安心したければ、勝手にすればいいと思う、というか咎める権利もないしどうでもいいが、俺の優しさからして、「そんなのはお前の長期的な利益を手放すだけにしかならないぞ」と言っておくし、もしその通りであった場合、その“事実”に反した責任は、自分で取ってみせるというのが、筋ではないのか? 少なくとも、社会に出て偉そうにしている分際なら、それくらいの責任くらいは果たしてみせるべきだ。その覚悟の上で、今日も笑うがいい。
しかし俺としてはやはり、そういう社会的な楽しさや気持ちよさとは、半々未満で付き合っていくことを奨める。結局のところ、「しょうもないから」に尽きる。それに苦しむ者だって、同じことだ。
俺は長いこと、この社会で自分を否定される立場だったが、どんなに世間に否定されようとも、自分で自分を否定してみせようとも、特にこれといって有意義な行動も意欲も成長も生まれなかったから、まず自分を肯定的に見てやったところ、自分らしく動くことができるようになり、行動力も増し、社会の求める動きというものがかえってできるようになった。自分を否定して、悲観的に見ていたころは、あんなにも何にもならなかったのに…………そんな経験からも、そのような社会的価値の応酬にはまったく意味を感じておらず、距離を置いている。
俺も別に、勉強や練習をすることだけが正しいとするのはつまらないと思うから、そういうのがあってもいいとは思う反面、
危惧しているのは、どこまでも考え方が飛躍し、自分から乖離し、地に足のついた考えと動きができなくなる人間が増えることである。
人間の効率の追求とは、勉強とは、成長とは、「脳髄を建設的な方向に変えて見せること」を言うと思っている。
なのに不思議と、人間的な事象の判断と正義においては、それをスルーしてもよいと思っている人間が多い。
真に勤勉であり、誠実であり、自分らしく輝いているのならば、社会に縋って感情的に遊んでいる時間も、それに魅力を感じる自分なども、どこにもないはずだ。
そういうわけだから俺は、このブログを真面目に更新する気もない。マイペースにやらせてもらう。発散に真面目だと、成長に不真面目になる………。
【無職・貧乏人向け】オススメアンケートモニタランキング【随時更新】 ※最終更新日 23/5/21
無職や貧乏人は暇ならアンケートモニタでもやれ! アンケートモニタとは、「質問に答えて報酬を得る作業」のことである。報酬効率は普通に作業所以下だが(いきなりやる気をへし折っていくスタイル)、それでも「やらないよりはマシ」。ある道具を買って長年使うとしたら、むしろ一日の費用というのはかなり少なくなるという考え方ができる。そういう意味で、稼いだ金を安易に嗜好品に変えてウンコに変えない限りは、少しでも金を稼ぐことに意味がないことはない。また、稼いだ金で人生を変える転機になる本でも得られたなら、労働の対価は爆上げになる。
確かに、収入がないというのはひもじいし苦痛だ。愚痴を垂れるのも分かる。だが俺としては、「愚痴る」のと「行動する」のは分けて考えた方が、自分にとっては間違いないことだと思っている。
俺はいま少しでも金が欲しいから、毎日しこしこアンケートモニタに励んでいる。実はモニタ自体は十数年前からやっていて、けどしばらく続いてもそのうち別の娯楽に向かったりでモチベが低下して度々存在が忘れ去られていた。最近になってまた意欲が回復してきたという感じ。俺のようなスキルのない人間にとっては、こういうスキルなしでも稼げる手段があるだけ有難い。
※ただ、微塵も個人情報を売り渡したくない・与えたくない、もしくは 流出が怖い と思う人は、やめておけばいい。俺としては性癖やオカズがバレるわけでもあるまいし、たまに病気や悩みといったデリケートな質問もあるとはいえ、そんなに気にするもんでもないかなと……。
また俺としては、「日々何もやらないで悶々としてるよりかはマシ」と思っている。
アンケートモニタをやっていれば、少なくとも「何かをして何かを得る」という『建設的な感覚』は確保できる。作業興奮という概念があるように、人は行動することで、更なる行動意欲=熱情が発生するのはあるわけだから、自分には何もない・何もしたくないという者も、こういうところから始めてみたらいいのではないか。やりたくないなら、やらなければいいのではないか。まぁ、なにもアンケートモニタだけが正解なわけじゃない。
でも俺的には、この「怠惰が悪とされる世の中」だからこそ、「自分、労働してますけど?」みたいな言い訳を自分の中に持っておくのはメンタル的にもいいんじゃないかと思う。たとえ他人からあれこれ理由を付けてバカにされようが、底辺ほどその心持ちの方が大事だと考える。 結局、他人はどう、じゃなくて、自分よ……。
さて、早速紹介していくとするが、以下のURLを踏んでも、俺にポイントがいくとかそういうのはないから、どんどん踏め。この手の紹介記事はそれはもううさんくせーのが多いが、これは完全にガチオブガチ、無職の公開オナニーだから心配無用、安心安全、産地直送。
※ アンケートモニタは登録情報の内容によって、アンケートの内容や量も変わってくるとのこと。以下は無職向けなので、俺と状況が大きく異なる人(特に一般的な社会人)には当てはまらないかもしれないことは先に述べておく。
~ 無職でも稼げるアンケートモニタランキング(忖度一切なし、何故なら俺は無敵……いや“不敵”だから) ~
1位 infoQ
日本のアンケートは質問の質・量・答えやすさ、どれもが優秀。海外アンケートも数が多く、ポイントも高かったりするので、積極的に挑戦していきたい。
総合的に見て、一番ポイントが貯まるアンケートモニタだと言えよう。
2位 マクロミルモニタ
3位 オリコン・モニターリサーチ
俺はそれとは無縁の人間だから、知識が無くてもポイントがもらえるような作りにはなってはいるが、それで報酬をもらうのはどことなく罪悪感がある。なので、少しずつそういうコンテンツにも触れていこうと思うのであった……。4位 リサーチパネル
ECパネルとの連携が必要だが、そちらでもポイントを稼げる要素がある。特に買い物でのポイント還元は、ここ特有の要素だ。
また、ポイント交換の際にPexとかいうサイトを使わせてきて、直での交換や振り込みはしてくれない。
5位 キューモニター
6位 NTTリサーチ
以下、まだ未知数なので何か分かったらランキング入れる。一応、現状の主観を載せとく。
~ ガチアドバイス ~
~ モニタを始めるにあたって ~
真面目な話の真面目な話
俺は、真面目な話をするのがあまり好きじゃない。というのも、そんなのは社会で追いやられている俺がしてやらないといけないことでもない。
本来は社会的な価値・立場を有する者がしかとそうした言論及び表現と統制により世界を良い方向へと誘導して人々を統率していなければならないことなのであって、つまり、社会的にひたすら弱い俺がそのような真面目な話をしなければならないと思うとき、世界の権力者たちの放棄した職務の分を押し付けられて職務とさせられているところがあるわけで、俺がそういう行いを自分からやりたいと思っているところがあるにしても、結果的に世界の尻拭いをするかのようにして動くことになるというのは、理に適っていない。
それなのに、「はいほい、お任せくださいよ~」という風に動いていけば、たとえその動きが誰かにとっての意味になれたとしても、世界が職務を放棄したままであることは変わらないのだから、現世人にとっては有難いことであっても、尻拭い分は必ず、未来人へと向かう。俺は、そんなのは『真の善』とは言わないと思う。その社会的に弱い存在が、異端的で広範的であるほどに、そうなのではなかろうか。
また、前々回の『金の話』でも言ったが、金銭には諸々の「善」が宿るのだからこそ、民主主義という名目で動くことが許されているにしても、俺が社会的な報酬を得ない以上は、限度がある。まぁ、現状はそこまで深く考えなくてもいいと思うが。
世界が自浄的に正しい方向へ向かっていけなければ、世界の法則が誤っていることを認めない限り、もはや未来はないわけで、しかし誤りを認めるというのは簡単なことでもないのであり、だから時に、積み上げてきた罪に目を向けないでもよい “短絡的な交配” を希望するのだろうが、その権限も世俗的な権力という、先人にも否定された程度のものによってでしか肯定できず、世俗に頼る以上、異端がそこに染まることは永劫ないので、ゆえに現状は、異端者の職務はないどころか、責任を宿すこともままならない。
世俗が世俗を肯定し、権威が権威を肯定し、下劣が下劣を肯定する。そこに異端者の介在余地はどこにもない。今後、数百年はそうだろう。
要するに、「社会で否定されるもの」は、法の範疇であれば「社会のためにならない動き」や「社会を無視する動き」をすることは、実質的に認められる。「人のため」云々言われても、自分が嫌ならしなくていい。本当に社会が “底辺” を必要とするのであれば、そもそもちゃんとそいつらもなるべく上手いこと『肯定』してみせるべきなのである。一点に集中してウハウハするようなことなどはかなぐり捨ててね。
しかしそれが出来っこないのが、“人を人以外にさせる” 社会と資本主義の生み出した功罪なのだ。神格が働けば、下賤な民に用はない。どんなに「善」を前面に押し出してそれっぽい説法をしてくる者がいようが、それが現実なのさ。
ただし、民側の意見としては、社会に反射的に反発しているだけでも、この現世に漂う自分にとって、いい展開が待っているとも言い難いから、同類共はその辺は半々で、バランス良く考えていった方がいいだろうな。要は、社会的な善悪とは程々に付き合うのが一番良いと………だが、レールから外れてしまった存在は、もう下手に「社会的に台頭しようとする自分」には目を向けないで、まずは、“自分自身” として動いていくことを勧める。
そこらに関する深い話やアプローチは、また追い追いやってくとする。ただ、かつて引きこもりだしたときの俺は、「頑張ればレールに戻れるんじゃないか」と考えている部分があったし、「アラサーの無職」という立場も自分とは無縁に思っていたはずなのが、現実問題そんな話でどうにかなるものでもなかったのだからこそ、社会の価値観自体には『自分を引き上げてくれる力』なんてのは最初からどこにもないと、そう言っておきたいのである。社会の価値観というレールには、何も自分がともなっていない。それに固執して囚われるのは、意味が無い。アホ。
まぁそんなこんなで、この俺を堕落させることによって、数々の天上・安寧・愉悦は保たれているわけだ。俺だけに限ったことではないから、社会的な成功者がその高さを保つために、結果として何を踏み躙り、幾多の屍を築いてそこに立っているかを自覚しないことには、そこから発される豪雨もまた、正しさの芽を育てるどころか、根絶やしにすることにしかならない。
要するに、俺に何らかの『社会に介入する才』があったとしても、これは基本的には “使ってはならないもの” だと考える。もし、「ヒキニートにもめっちゃ才能が有りました」とか軽はずみに認めちゃったら、その価値を実在する価値にできないこの世界はどんだけしょうもねーんだ、って話になるだろ。そんな世界で認められた者たちは? まぁ、俺は才能自体はあると思ってるけどw
何より、徒労である以前に、そのような話をすることで「真面目な印象を持たれる」のは、この社会においては、けして良い事だけでもないわけだ。とある芸人が「自分はかつていじめられていた」ということを告白していたが、それを見て俺は、(いやいや、人を笑わせるのが仕事であるこの人にそんな役目を担わせてやんなよ……)と思ったものだ。その人はその人で素晴らしいんだけどね。「真面目な印象」や「現実的な印象」は、芸人にとってはあんまよくないことくらい、その道のプロほど理解していることだろ?
俺だって別に芸人じゃあないが、基本的にはうんちぶりぶりしていたいのである。
ただそれでも俺は、十数年の引きこもりを「それはもう孤独に」経験している間に、辛酸を舐め尽くし、地べたを味わい尽くし、血の池に浸かりきって感じる温度すらも麻痺したような、そんな自分だからこそ、できる思考があって、自分にしかできない動きもあると思っていて、今の俺がそうしないでコソコソ動いて、仮に億万長者になったとしても、そこでの俺は心の底から笑えるのだろうか?という疑惑がずっとある。マズローの承認欲求だかなんだかでも最上位には『自己実現欲求』があるが、それには『そういう何か』……つまり、「自分だけが気持ちよくても際限がない」、そういう事実があるということを示している。
だから俺は、今のうちに置ける自分は置いておこうと思う。それは「社会のため」じゃないんだ。大事なのは、そんな主語がデカい話じゃなくて、『自分がひとりでも、たったのひとりでも』だ。最近読んだ野村克也の書にも「人を人として認めない者に、人望が集まるはずもない」とあった。俺は、このジイさんに言われるまでもなくそんなことは分かりきっていたが、まぁ改めてその通りだと思った。そこのお前は、人を人として認めながら生きようとしているか?
軽はずみに「みんなのため」を価値とする奴は、「ひとりのため」の尊さを度外視している……!!!
そんなんで、「みんな」は絶対に変わらない。表面的に広範の洗脳に成功しても、そんなのはいつか解ける。意識の高い大企業様というのは、結局はくだらん欲望に従っているばかりで、この程度のことを考える知能もない浅はかでちっぽけな集団なのさ。
俺がここにいるのも他でもない、そういった「誰かひとりにとって少しでも『建設的な何か』になる “可能性” のため」である。そして「ないよりマシ」を貫くためである。
あとはせいぜい暇つぶしと、親孝行か。
まぁいうて、人望は別にいらんのだけどな。んなもんクソくらえ。めんどくせーんだ
まー、今後の俺の情報の中から使えるもんは使って、使えないもんは無視すればいい、本当に。お下劣現代社会で割り切ってくスキルは大事だよ。
人間にそれ以上の関係なんて必要あるか? いや、基本ないと思うね。ないから、成功者の人間性を深く知らんくても、それでいいんだろ。そんなだから、けつあなやツルツルが確定してギャーギャー騒ぐんだろ。赤の他人とは最初から、そのくらいの距離感でいいんだ。付き合いたい奴が現れたら、その都度そうしたらいいことだ。
んで結局は、俺は俺で、俺のやりたいようにやることをやるってだけよ。
だからその点に関して、俺が「人のために善行をしている」とかも思わないでいい。そういう目線は野暮だ。「ひとりのため」なんてのも、結局は俺の思想に過ぎない話だから。そういう素晴らしき救済がお望みなら、まずはお金がっぽりマンたちに頼ってくらはい。それが現世のルールです。
俺は社会に存在しないわけで、報酬もないわけで、とうぜん責任もないから、俺としてハナほじりながら動くだけでーす。
(一応、民主主義かつ情報社会だから0ってわけでもないけど、ほとんど0なのは間違いない)
ま、そーいうわけだから、このブログでは真面目な話も度々挟んでいくつもりだが、真面目な内容は別のブログに分けてそっちで記すのでもいいかもしれないね。ネタと真面目を行き来したら、感情の起伏が激しさから「これキ○ガイの記事ですわ」とされそうなのも癪なんでな。けど現状は、一つにまとめた方が、俺という人間のことを理解できるし、意志もちゃんと汲み取れるのではないか……と考えている。
場合によっては、Twitter、Note、Scrapboxといったサービスを使うことも考える。
上品な話をしてさしあげますわ!
先ほど、俺がゲームに熱中していたところ、ふと股間の違和感に気がついた。
(やべェ・・・・・・・・・なんかボワボワする・・・・・・・・・・・感触がない・・・・・・・・・・・・亀さんの頭を触っても感触がない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あとやけに自動で剥けやがる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
俺はダッシュで部屋を飛び出し、風呂場へと向かった。
そしてやたらヌルヌルしたタートルヘッドにシャワーをぶっかけながら考えていた。
これは、何だ?………………と。
思い当たる節があるとすれば、最近毎日抜きまくってて亀頭が腫れていた事と、ロクに風呂に入らずにアレを洗っていなかった事。
…………そこから俺は、一つの結論を導き出した!!
風呂に入らなかったことでチンカスが溜まっていたが、腫れのせいでオシッコしてもうまく排出できなくなっていて、腫れ+チンカスのコンボで股間がビッグバンを起こしてやがんだ!!!!! とね。
その極限状態での推理力の高さは、まさに、コナンをも凌ぐほどだった。俺はヒキニートをやめたら探偵にでもなるか。こんな冗談を書いている間に沸かしていた風呂が沸いたから、早急に洗ってくるとする。ちなみに今チ○コ丸出しでこれ書いてる。
俺のチンチンは包茎気味だからそれも関係してるのかもな。
とにかく、男性の諸君、抜き過ぎと洗わなさ過ぎには気を付けよう! ところで紅茶はいかがかしら
金の話
ブログ開設前から色んな意味で悩んでいたのだが、Amazonの「欲しいものリスト」を置くことにした。
別に、金のためにこのブログをやっているのではない。俺の価値観の頂上は、決して金ではないということだ。俺にはそこまでの欲がない。
それなのに、金銭的な対価を得ようとする行為をすることで、強欲だと思われる余地ができるのは好ましくない。
以下の話は、全く載せないことも考えた。何故なら、「俺の考えていることを話すことが、俺の動きを否定したい“だけ”の者において、『隙』になりかねないから」だ。黙ってそうしていれば、むしろ誰も何も言えないはずなのだが、やはりこれが俺という人間であるので、金銭に関する面倒な話もここでしておくとする。
ここで一つ話をさせてもらう。
世界には『チップ』という概念がある。お前らに質問だが、「自分にチップをくれるクズ」と「自分に何もくれないただ敬ってくれる人」とでは、どっちの方が有り難いか? そんなのは聞くまでもないのではないか? 特に、長期的に見てどうか。
要するに…………現実問題として、金および余裕がなければ、人に優しくする(優しいと思われる)にも限度があるということだ。
この世界は儲けてる人間がいると必ず誰かが「結局金じゅわぁああ~~~んうっひゃああーーーーww」と軽率に言うが、自分の生き様の対価とも言える金銭というものは、本来もっと『重い』ものなのだ。現代では何もかもがタダだし、スパチャッポォッーーンッッッしてっから感覚が麻痺してっけど。しかし「基本無料」にも、それを維持するための並々ならぬ努力があるはずだ。
ゆえに、他人の為になる建設的な行いをしても「儲からない」ということは、ある種「自分の生き様が認められていない」ということなのであり、「人に信頼されておらず、この世に存在していない」ことだと言える。「儲けようとしない」こともまた、「自分の生き様を認められようとしていない」ことである。それは、『他人の為に死ねます』と言っているのにも等しい。
また、その「自分が認められない分」はとうぜん、他人の方にあっけなく回されるので、それだけ、他人にも自分という存在を与えづらくなる。すると、自分のことをよく思ってくれる人に対しても、裏切るような生き方をすることになる。
厳密には、「自分を与える資格がない」と言った方が正しいか。
『金銭』というのは『世界介入権』にも等しい。権限なくしてあまりにも好きに動くのは、“無免許運転” も同じことなのだ。金銭には、信頼、信仰、意義、権力、責任………残念ながら、現代ではそういった諸々が確実に内包されている。
儲けている者たちを強欲とし悪とし、自分が儲けないことで相対的に清廉潔白を演じることもできようが、それ自体がくだらないし*1、第一そういうのは、教祖でも目指している人間のやることだ。そういうやつは結局、信者が増えてきたどこかの段階で金をせびりだすけどね。
中には自分から「心ではちゃんと信じています、だから金銭は捧げませんが奪うことを許してください」のようにして振る舞う者もいるが、俺から言わせてもらえばそんなのは、ごく一部の “本当に余裕のない人” を除いては、「逃げでしかない」。金という『信頼の証明書』がどこにも無いからである。
俺自身が「完全にそう思っているわけではない」にせよ、そんな思いとは無関係に、社会の法則が、人々の無意識を黒く染め上げ、人々を無自覚に歪ませる。そんな光景を実際に見てきた。体感してきた。他人の欲のなさをいいことに、好き放題、自分に都合良く動いて、我欲を満たそうとする者たちを脳に刻み込んできた。
『信頼』というのは、その『都合の良さの免罪符』であるとでも言うのか!?
ガチで心では信じています、というのならまぁそれでもいいが………心で信じることも、そんなに軽いことではないぞ? むしろ、金銭が関与しない分、もっと重い。他の者に信頼の要素が回される分だけ、重くしないといけない。
要はな……………金を得ようとしなければ、それはそれで、もはや “信仰心” で試すしかなくなる。そうなれば、それこそ「教祖」と「信者」の関係のできあがりだ。俺は、誰かにそんな重さや不健全さを背負わせるのも、それはそれで違うとも思っている………だから、金銭の方が気楽っちゃそうなんだよ。
相手に「対価はいいから」と言われながら利益を得たときに、最も試されているのは他でもない、『その判決を言い渡された側』であるのだ。たとえ相手にはそんなつもりはなくて、それが純粋な善意であったとしても………。
これは、『存在価値』の観点の話なのであって、それこそが資本主義の生んだ、“存在の条件” なのである。
自分の金が、他人の金として入っていくことで、経済も社会もまわるのであり、それによって俺たちは今を保てるのであり、金がある以上、価値に対しては、ちゃんと金を捧げることで『他人を認めて自分を認めること』を証明することこそが、自他の幸福の第一歩となる…………と、少なくともこの資本主義社会はそう規定しているハズである。
それに反することを是としたがる者は、一体何の権利と主張と根拠をもってそうするというのだろうか。
確かに、「互いに信じる気持ち」も大切だし、金銭が関与しない関係ほど、素朴で実直な意思疎通が可能な関係もそうないと思っている。俺も本当は、そういう関係が理想である。
ただ現実として、現代人は……「金銭を与えないでいい相手のことは、まるで下僕………いや、下僕ならまだいい方で、大半は奴隷のようにして扱うことに『恥』すら感じられない」、そういう性質がある。どいつもこいつも、自分だけはホクホクと利益を手にしながら、安寧を確保しつつ、しかしそれでいて自分のことはないものとしながら、他人を慮ることなく奪うだけ奪い、消費するだけ消費し、醜悪な笑みを溢し続けることに、存在価値を見出すのである。
そうして、完全なる善意の表明は、それはそれで甘えの気持ちや依存の欲求を誘発し、かえって数々の横暴・横柄を招くものとなる。“美徳の精神” だけでは超えられない問題があることは、理解していただけただろうか。
もちろん、タダで奉仕する「ボランティア」という概念もあるにはあるわけだが、そういう行動をするのは、元より余裕があって、他の行いで対価を得ているような者が多いと考えるし、その『ボランティアの行動の価格』も言ってしまえば些細なもの(つまり固有的ではなく、誰にでもできそうな動き)だから、その分の対価を投げ出してもまず大損はこかないわけだ。
そこら中に散見される “優しさ” が、何によって保たれているかというのを考えた時に、『金銭的な余裕』及び『心情的な余裕』という土台がないわけがないのである。
(それはそれとして、いずれ俺も余裕ができたら、ボランティア的に動きたいとは思っている。)
ゆえに、相手がクズだからこそ保たれる善性・善行もあると知れ…………自分に都合よく動くことしか能がない、二転三転が十八番のクズには分からないか?
「二転三転が十八番」って、もう数字多すぎてわかんねぇよ。
また、金とは言わば、優しさの源泉でもある。普通、他人に対しては優しさを持てないような哀れな人間が、金銭を拠り所として、善性の維持に努めている場合もある。
確かに、金銭の関与・余地などなく人に優しくすることや信じられることは一見素晴らしいことであるし、自然的感性に寄り添ったなら、それは紛うことなき事実であろうが、時にそのような清廉潔白は、他人の優しさの源泉を破壊する『悪』にも成り得ることは、ただ優しいだけでは終われない宿命にある人間は、覚えておいた方がよいだろう。
………そんなわけで俺も、ちゃんと社会に沿う表明をする意味も込めて、“ほんの少し”クズになり、「欲しいものリスト」くらいは置こうと思っている。
要するに、他人に向かう分を、俺に向かわせる余地を置かせてもらう。
捻くれたものは、そうしたいからグダグダ言い訳じみたことを書いたんだぁ~~、とでも思っておけばいい。そいつが常日頃何を感じ、どこまで自発的に思考を展開させているのかは知らんがな?………チビスケが…
しかしそれは、俺がこういう論法で横暴することを容認させるためなどでは決してなく、俺が余裕を得ることで、もっと他人に俺を還元していける俺を手に入れるためだ。
けどそれでも、ゲームとかそういうキモいもんは置かん。せいぜいちょっとした飲食物や日用品くらいかな……。特に、週何回か老いた親に飯や日用品を買わせて持って帰らせているから、その負担を減らしたいってのがある。
まぁこの辺は、後々ルールを変えていくのはあるかもしれんが*2、それでも俺は、このブログを金に変えまくろうと思っているわけではない、たぶん永遠に。……ということは言っておきたい。そう言っておくが、固定される筋合いもない。俺は、俺。
俺的には、金を得るなら、プログラミングを学んでコード書いて得るとか、ゲームを作って売るとか、絵を練習してFANBOXやるとか、出来ればそういった素朴に社会に則った方法で儲けていくべきだと基本的には考えている。その手段で稼ぐ金については、俺は咎められるつもりはない。たとえ億稼ごうが。心配せずとも現状そんな力全くないけど。
ただ現代では、現実に「『人間(キャラ)』を金に変えられる仕組み」があってしまうから、それまた社会に則った方法であるし、正攻法でもあるとは思えど、やはり俺は、キャラ以上に“人間”でありたいのだ。だから、俺の人間性の純度の高い分は、極力金には変換しない。俺は、そのようにして動く。
ただ、人間であっても、善人だとかそういうしょーーーもない評価は要らんから、そういう意味でも、俺は若干は“悪人”に染まる。別に、本当は悪でも何でもないんだけどね………そういうの、ほとんど僻みだし、酸っぱい葡萄理論なんだ。じゃあなんでこういう話するかって、捻くれているからだね。キツネ共よりもよっぽど。
はてさて、俺が何も得しないことと、少しでも得すること………総合的に見て、他人にはどっちの方が利になる可能性があるかな?
現代では「フォロー&RT」キャンペーンのようなバラ撒き行為があるように、もしかすると俺が動いて成功者からお金をふんだくって恵んでもらって儲けられたなら、そこから社会の負け犬限定で儲けたぶんを分け与えるようなこともできるかもしれないが、俺を「稼いではならない」と一方的に決め付けたなら、その可能性すらも最初からなくなることになる。……どうせミリでもあるか全くないかなら、ある方にかけて、俺をこき使う感覚で放っておけばいいんだ。それこそが信用と違うのか。
この俺はまさに『 呂布 』だから、喰える存在ではなかろうけど、まぁ俺をどう見るかは人次第だ。
ただ結局は、俺が一人の人間である以上、全ての人間の願いを叶えるのは無理だってことよ。
まぁ、ここまで長々と書いたが、どうせそんなウハウハな展開になるとも思っていないんだけどねw もしあんまりにも儲けまくるようなことになったら、自制も考えていこうかと思う。儲けてほしいなら、儲けてもやるがな。
その辺は現状何とも言えませんね。ていうか、欲がないから今後も、意欲的に動きそうもないっていう。そんなのより俺は、「ないよりマシ」な存在でありたいのよ。ただ、俺の納得の為だけでなく、記事のネタとしても、こういう話はしておいたというわけだ。あ~ 長かった。
あと、俺がこんな風に長々と話をするのには一つ理由があって………
かつてとあるコンテンツのホームページ(ファンサイト)を運営していた時に、サイトに来てくれる人のコンテンツへの愛が思いのほか深かったので、美徳の精神でアフィリエイトを置かないようにしてたんだよ。最初は置いてたけど外した。けど、まぁそいつら、コンテンツへの愛情はあっても人間への愛情はてんで無くて、んでその界隈の中で厄介な問題もあったし、俺もメンタル病んで最後には破滅した。
一部の人間は、金銭を含んだ栄誉を中心とした価値観で、それはもう腐っている。それらに対抗するためには、儲けることによって自負を保つしかないところもあると思い知った。
要するに、誰しも、いかにも “自然的” に 「他人を数字で決めている」ところがあるからこそ、“不自然” にでも「数字で自分を決めなくてはならない」ところがあるということだ。
酸っぱい葡萄理論に構っていたら、それこそ構う理由を見失う。腐った感性を受け入れてやって、俺の感性でそれを反転させるもない。金は、俺という孤・個の存在証明でもある。
かといって、じゃあ完全に黙っていたなら、この辺に関して、誰が何を思えるというのか。
ふっ、どうせ『強欲』か『奴隷』かの二択だろうが。あるいは、自分をなげうってまで行う『献金』か……?
このブログの指針
このブログでは、基本的にヒキニートの日常を中心として、あとはネタと、備忘録に、自分がいいと思ったものや、道具のレビューをシェア等したいと思っている。ただ俺は金がない挙句、感性的な人間だから、あまり役に立たないかもしれない………なんか質問があるならコメントでもすればー?(SNNSK)
時おり真面目な話もしようと思っているが、俺は真面目モードになると話が長くなるクセがあるから、(あぁ始まった)と思ったらスルーしてくれて構わない。そこから何かを得ようと思うかどうかは人次第だ。
社会の広い範囲で建設的な話はほとんどしないだろう。
なぜなら俺は、社会的にはただのヒキニートのスネかじりのゴミのうんこ製造機でしかない。そんな奴が世間様神様にあれこれ指摘しようなどというのは、畏れ多いことですので……うん。
まぁハッキリ言って俺は、社会を見定める才能はあるのだが、今はそれを行使する気にはなれないと………結局は気分次第だね。
今後についてやろうと思っていることは他にも色々と考えているが、俺も俺で大概余裕がないから、長い目で見てほしい。
基本的にはもうマジで動物園のゴリラのごとく脱糞しまくってウ〇コ投げまくる所存であるし、飼育員でも来ようものならむしろ俺が調教してやるし、このブログを見る者もそんな適当な感覚で見てくれればいい。動物園のゴリラなんかにそこまで入れ込まないだろ?(入れ込むヤツは『ごりらクン』にでも改名してろw)
俺は義務感を負いだすと9999%ダメになるから、それはもう超不定期で超適当にやらせてもらうぜえぇぇ。うんちぷりぃっ!w
要はこのブログは、動物園のゴリラコーナーもとい、現代社会という砂漠の中のオアシスのような立ち位置として、ひっそりとやっていきたいと思っているというわけだ…………出来るかはともかくとして。オアシスじゃなくて温度の加減が終わってる血の池地獄だったらすいません。とにかく一番は、自由にやりたい。
なお俺に、特にスキルはない。たいてい、負け組をアピールしてる奴にもなんらかの能力があるのが常だが、俺には本当にそのまま何もない。強いて言えば、『本質を見抜く能力に長けている』…………そんくらいだ。それだけなら、日本では一番だという自負がある。ここでそれを行使するつもりはないが。